전위와 아방가르드와의 조우 -1930년의 문예·영화비평-
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목차

Ⅰ. 들어가며

Ⅱ. 생산적 전위와 소비적 전위

Ⅲ. 야만적 근대

Ⅳ. 아방가르드의 영화

Ⅴ. 전위개념의 신천지

Ⅵ. 맺음

본문내용

modernism(Duke University Press, 1987).
2) 北澤憲昭「前衛美術の動向美術の1920年代=ノト」(『美術手帖』四六七號, 1980年7月), 古 裕介 『<前衛詩>の時代―日本の1920年代』(創成社, 1992년), 外山卯三郞「日本におけるアヴァン·ギャルド美術運動」『日本洋畵史 第四卷 大正から昭和初期まで』(日貿出版社, 1980년), 中村義一「大正アヴァンギャルドの靑春」『日本近代美術論爭史』(求龍堂, 1981年), 座談會「「讀みかえる」とはどういうことか?─「大正」アヴァンギャルドから始めるということの意味を問いつつ」『文學史を讀みかえる1』(インパクト出版會, 1997年1月)
3) 작가명은 게재순으로 아래와 같다.橫光利一, 久野豊彦, 吉屋信子, 今東光, 平林初之輔, 川端康成, 下村千秋, 龍膽寺雄, 森岩雄, 藏原惟人, 宇野千代, 小林多喜二, 直木三十五, 楢崎勤, 北村喜八, 高田保, 佐木俊郞, 岡田三郞, 貴司山治, 尾崎士郞, 北村小松, 藤澤桓夫, 中河與一, 小島 , 淺原六朗, 大佛次郞, 犬養健, 飯島正, 平林たい子, 岸田國士, 秦豊吉, 嘉村 多, 林房雄, 翁久允, 片岡鐵平, ささきふさ, 葉山嘉樹, 池谷新三郞, 村山知義, 大宅壯一, 江戶川亂步. 이에 비평용어로서의「모더니즘」이 일본에 정착하기까지의 과정은 千葉宣一 『現代文學の比較文學的硏究 モダニズムの史的動態』(八木書店, 1978年)에서 상세하게 검토하고 있다.
4) 五十殿利治 『大正期新興美術運動の硏究』(スカイドア, 1995年), 22∼25面.
5)「解題」(法政大學大原社會問題硏究所篇 『日本社會運動史料 機關誌篇 前衛(1)』 法政大學出版會, 1971年), 389∼91面.
6)「編集を了へて」, 『前衛』 前衛社, 1922年1月, 34面.
7) 鈴木貞美 『日本の「文學」を考える』(角川書店, 1994年), 194面. 더우기 이 시기에 활발해진 예술대중화논쟁에 관해서는, 尾崎秀樹「貴司山治論」(『大衆文學論』頸草書房,1965年), 前田愛「昭和初頭 の讀者意識─藝術大衆化論の周 」(『前田愛著作集』, 筑摩書房, 1989年, 第二卷所收), 池田浩士「<大衆>というロマンティシズム─プロレタリア文學と大衆文學の讀者像」(『文學史を讀みかえる2「大衆」の登場』インパクト出版會, 1998年1月) 등을 참고했다.
8) 大宅壯一「移動せる美の基準」(『文學時代』 1930年2月), 23∼4面.
9) 飯島正「現代映畵の狙つてゐる美」(『文學時代』, 1930年2月), 31면. 이 글은 나중에「映畵の狙つてゐる近代美とその性質」라고 개제(改題)해서 『前衛映畵藝術論』에 게재되어 있다.
10) 森岩雄「前衛映畵論」(『新潮』 1930年4月), 95面.
11) 佐木能理男·飯島正 『前衛映畵藝術論』, 天人社, 1930년, 復刻版, ゆまに書房, 1991年, 5∼6面.
12) 더우기 비평용어로서는 1926년경에 정착되어 1930년에는 쇠퇴했다고 이야기된다. 
Noureddine Ghali, L'avant-garde Cinematographique en France Dans Les Anees Vignt: Idees, Conceptions, Theories(Paris:Editons Paris Experimental, 1995) p.39, p.49.
13)「編集後記」(『前衛時代』, 1931年4月), 152面. 牧野守氏는「1930年に何が起こったか─「新藝術論システム」を って─」(『前衛映畵藝術論』 復刻版, ゆまに書房, 1991年)에 있어서, 『前衛時代』의 존재를 언급하고 있다. 본론은 이 지적에 많은 시사를 받아 쓰여졌다.
14)「エロ·グロ·ナンセンス」라는 용어 안에「넌센스」에 관해서는, 小林眞二「《ナンセンス文學》の樣相―中村正常を中心に―」(『文藝言語硏究 文藝篇』 三四號, 筑波大學文藝·言語學系, 1998年10月)이 상당히 참고가 된다.
15) 峰岸義一「『貞操のロボツト』日活映畵化」(『前衛時代』 1931年7月), 152面.
日本語要旨
「前衛」と「アヴァンギャルド」との遭遇-一九三○年の文芸·映畵批評
波潟剛(筑波大學 大學院 博士課程)
정 「前衛」と「アヴァンギャルド」との遭遇-一九三○年の文芸·映畵批評
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日本において「前衛」という批評用語の意味がマルクス主義的文脈と芸術至上主義的文脈へと分化し始めたのは一九三○年のことだった.その年のはじめに東京で「前衛映畵」の上映會が行われたのだがそこで上映されたのは芸術至上主義的な映畵ばかりだった.それにたいしてマルクス主義的批評家からの批判が起こり「前衛映畵」の定義をめぐる論爭が廣い範圍で始まったのである.ところが一九三○年は「モダニズム」の始まりの年でもあった.文芸雜誌『新潮』は一九三○年二月に合評會「モダニズム文學及び生活批判」を揭載している.この記事が日本におけるモダニズム現象の分岐点となったことはよく知られている.現在でも重要な二つの批評槪念はこうして同じ一九三○年という年に定着の足がかりをつかんだのだが今日の日本文學史·芸術史硏究において「モダニズム」にたいする議論は高まる一方「前衛」という用語にたいする關心は高まりを見せない.ではなぜ一九三○年當時の「前衛」をめぐる主導權爭いや二項對立の形成が忘却されたままなのか.本論文の目的はこうした疑問を解明することにあった.
一九三○年代初頭まで「前衛」は階級鬪爭を志向するプロレタリア陣營の重要な槪念であった.彼らはフランスから「前衛(アヴァンギャルド)映畵」が日本に輸入されたときも廣範圍な對抗網を作り前衛槪念の脫政治化を阻止した.しかし一九三二年以後の彈壓によって前衛 の動きが鈍るのと步を同じくして「前衛」というスロガンにも りが見られるようになった.その一方「前衛(アヴァンギャルド)」の映畵も盛んに輸入されることはなかった.それは飯島が予言したようにトキ時代の當來によって「アヴァンギャルド」映畵が衰退したことや一九三○年當時からつねに檢閱が加わえられて映畵を實際に紹介する機會が少なかったことなどが原因である.さらには西歐文化の最新傾向がほとんど「モダニズム」として理解されたことや左傾化を見せたシュルレアリスムへの疑問が大きく關わって文學における「前衛(アヴァンギャルド)」もついに展開を見せなかった.そのほかにも商業主義的な「前衛」やエロ·グロ·ナンセンス的な「前衛」が現れるといった狀況が生じ「前衛」槪念が一つのイメジを形成しにくい狀況に置かれ「モダニズム」の亞流という域を脫することができなかったのである.
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  • 등록일2002.11.09
  • 저작시기2002.11
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